ダイナムは1967年に創業しました。
パチンコを「誰もが安心して楽しめる日常の娯楽」となるよう改革し、街に憩いの場を提供できるよう
「街と生きるパチンコ。」を目指すべく、日本全国にチェーン型パチンコホールを展開しています。
往年の名機とともに、ダイナム50年のあゆみを辿ります。
1981年(昭和56年)登場。賞球数オール13。元祖「羽モノ」。ゲームはまず盤面下部の1、2と表示されたストレートチャッカー入賞で役モノの戦闘機の羽根が一回もしくは2回開き、羽根に拾われた玉が役モノ手前中央の「Vゾーン」に入ると「大当たり」となった。大当たり中は羽根の開閉アクションを繰り返して入賞球を集め、開閉を18回、もしくはVゾーン入賞8回(8ラウンド)まで継続した。海シリーズのように導入していないホールは無いという空前の大ヒット機種となり、他メーカーも類似機種を売り出したことから、「羽根モノ」ジャンル確立の中心的役割を果たした。なお、地域によってゲージ(クギ)構成や左右チャッカーの有無・種類が違う機種があった他、盤面デザインにいたっては10種類以上が存在した。名前の由来は、第二次大戦中の日本の名戦闘機「零戦」(ぜろせん=零式艦上戦闘機)から。
1981年(昭和56年)登場。大当たり確率は約1/250。「数字が揃えば大当たり」「パンクしない限り打ち止めまで出続ける」という画期的なゲーム性で様々な社会現象を引き起こしたデジパチ(セブン機)の元祖。メーカー・三共(現・SANKYO )の地位を不動のモノにした。ゲームは単純で、3つのドラムとドラム上のデジタルに「7」が揃えば「フィーバー」として大当たりとなる。アタッカーが約30秒間開放し、アタッカー中央のVゾーンを玉が通過すれば次回開閉が継続する。Vを通過しなければいわゆる「パンク」となって終了だ。「中当たり(ドラム3つ揃いのみ)」や「小当たり(その他の組み合わせ)」もあった。ホール導入後わずか3ヶ月で撤去の憂き目を見たが現代パチンコの礎を築いた機種であることは間違いない。写真は規制後の機種「フィーバー82」の3アタッカータイプ。初代フィーバーの雰囲気をよく伝えている。
1977年(昭和52年)にマックス商事から発売された0号機。それまでもオリンピアマシン(東京オリンピックが開催された年に発売されたことからのネーミング)やアメリカンパチンコと呼ばれるスロットマシンは存在したが、風営法適合機としてはこのジェミニが初であり、記念すべきパチスロ第1号機ということになる。正式に認められたことで全国的に設置され、パチスロを広く世間に認知させた。現在のパチスロとは異なるアップライト型筐体は、カジノのスロットマシンをベースにした名残といえるだろう。なおマックス商事は後の4号機時代にマックスアライドとして復活したが、様々な経緯があって現在は残念なことに消滅してしまった。それでもスロットマシンを日本流にアレンジし、パチスロとしてホールに設置できるようにした功績は永遠に称えられることだろう。
1980年(昭和55年)前後に登場した0号機。現在も続くブランドとしてお馴染みのパルサーという名前を冠しているが、これは山佐ではなく当時提携していた尚球社から発売されていた。余談だが、この頃はいくかのメーカーが提携関係にあり、兄弟機が多く存在。販売ルートの多様化を意図していたと思われるが、名前は違っても中身は同じ機械が多く、今のようなバリエーションには富んでいなかった。パルサーの特徴として、リールにステッピングモーターを初めて採用したことがある。これによって多彩かつ正確なリール制御を実現しており、この技術革新がなければその後のパチスロの隆盛はなかったことだろう。スペックはボーナスゲームで打ち止めまでボーナスが続くというもので、現在のような形になるには1号機の登場まで待たなければならなかった。またこの頃にはパチスロメーカーの組合として、日電協も設立されている。※日電協とは日本電気式遊技機工業協同組合の略称
1985年(昭和60年)登場。賞球数オール13。大当たり時の効果音が印象的な西陣の大ヒット羽根モノシリーズ。役モノにはメタリックな戦闘へリコプターを採用。羽根の開閉アクション時には役モノ内やヘリの機関砲が赤く光り、発射音や炸裂音などの効果音やへリコプターのアクションがプレイヤーを楽しませた。羽根の開閉は1チャッカー入賞で約0.5秒✕1回、2チャッカー入賞で約2.5秒✕2回。Vゾーン入賞で羽根がアクションを始め、18回の開閉、もしくはVゾーン入賞8回(8ラウンド)まで継続した。なお1ラウンドは最大9個入賞までで、現在1ラウンドあたりの入賞制限は当時すでに存在していた。なお、シリーズは現在までに合計7種類がリリースされている。
1986年(昭和61年)登場。賞球数オール13。貯留システムを初めて搭載し、全国的に大ヒットした。それまでのハネモノは、ラウンド継続が運頼みだったのだが、本機は役モノ内で玉が貯留されるごとにV入賞確率がアップする仕組みを採用。とはいえ、ハネの開閉8回目に貯留解除してしまうため、8ラウンドまで完走させるのは至難の業だった。左右均等に羽根を狙って貯留させるなどの打ち方も編み出された。現在に至るまで後継機が出続けていることからも高い人気が伺える。
1985年(昭和60年)に登場した1号機で、基板改修で1.5号機トロピカーナ7Xに。なによりも「遅れ」が有名で、レバーを叩いた時にいつもよりリールの作動が遅れたら(1号機まではウェイトがなく、通常ならレバーを叩いた瞬間に回りだした)ボーナス成立のサインになる。また、解析がまだメジャーではなかった時代にもかかわらず、その中身は丸裸にされてしまったともいえるのだ。それでも雑誌などない時代で情報を知る人が限られていたこと、また目押しの腕も個々で明確な差があったことですぐに撤去されることはなく、長期間に渡って稼働した。
1986年(昭和61年)に登場した1号機。吸い込み方式の傑作として、基板改修後の1.5号機であるニューペガサスⅡは4号機末期に渡るまで設置していたホールもあったほどの人気を誇っていた。最大吸い込み枚数の異なる4つの状態をボーナス毎に振り分け、最大100枚の状態が選ばれれば連続ボーナス、また最大1600枚の状態が選ばれればメダルが減り続けるという展開は他にはない唯一無二のもの。また最大吸い込み枚数が確率状態によって異なるために確率状態が容易に推測できたり、吸い込み方式のために小役の払い出しが全く意味を持たないため目押しでワザと小役を外す右打ちといった打ち方が存在。初めてボーナス中のBGMを採用した機種としても有名で、ノクターンのメロディを聴くとペガサスを思い出す人もきっといるハズだ。パネルカラーも複数あり、色によって出方が違うという噂もあったがこれも人気機種だからといえるだろう。
1988年(昭和63年)登場。賞球数オール13。メーカー・三星(現・サンセイアールアンドディ)の名を全国区にした大ヒット一発台。ゲームはやや複雑でまずは天チャッカーに玉が飛び込んだらチャンスとなる。そして盤面中央の3つ穴役モノに玉が落下し、風車下の真ん中の穴に入れば大当たりとなった。大当たり後は、3つ穴役モノ左右のチューリップが開き(閉じないようになっている)、このチューリップの先端に弾かれた玉が3つ穴役モノ下の「2回開きチューリップ」に玉を誘導する。この2回開きチューリップに玉が入賞するとその左右の電動リューリップが約5.7秒開き、このパターンを繰り返して入賞数を増やしていくのだ。絶妙な玉の動きに醍醐味があり、プレイヤーはその玉の動きに一喜一憂した。
1989年(平成元年)登場。賞球数オール13。魔法のカーペットが玉を貯留する独特のゲーム性で大ヒットした羽根モノ。大当たり中は羽根開閉8回までカーペットに玉を5個貯留して開閉。Vに入れば継続。失敗すると可動するVゾーンが左右に動きだして継続率を下げてしまうのだ。ゲームは1チャッカー入賞で椰子の羽根が約0.4秒✕1、2チャッカーなら0.45秒✕2で開閉する。開閉時間は他の羽根モノ機種より比較的短く、羽根の開閉角度も狭いのでなかなか大当たりしなかったが、一度当たれば継続率は良かった。
1989年(平成元年)に登場した2-2号機。メーカーはニイガタ電子精機となっているが、実際に開発したのは当時提携関係にあったサミー工業(現サミー)であり、今なお続く看板ブランドになっているのはご承知の通り。2号機から認められた機能にシングルボーナスの集中役があり、それまでもいくつか搭載していた機種はあったものの、一気にメジャーにしたのがアラジンである。BIGとREG確率は共通で、差があるのは集中役のみという思い切ったスペックが特徴。集中役に入ると、パンクするかBIG成立までひたすらシングルが揃いまくるというゲーム性。またボーナスとシンプル共通のリーチ目である単チェリーの存在もヒットの大きな理由。単チェリーが出たらまずボーナスを狙い、ハズれたりシングルが直後に出たら、集中役であるアラジンチャンスの可能性大というドキドキ感に多くのプレイヤーが魅せられたのだ。
1994年(平成6年)登場。大当たり確率は1/385、1/400、1/420の3段階。賞球数は5&15。確変率1/3、2回ループ。ゲームは大一キャラクターの「パンジー」「ハイビスカス」「ひまわり」「バラ」「チューリップ」「ユリ」に「7」「地球」「飛行機」を加えた9図柄のうち、「7」「地球」「飛行機」で当たれば確率変動となる。非常にシンプルなリーチアクションで、基本ノーマルリーチのみ。ただし、ハズレ後の再始動リーチが100%大当たりだった。当時としては珍しく確変中は右打ちで消化。アタッカーは電動チューリップだった。大当たり中は機種名の通り世界旅行の演出があり、あの「夢夢ちゃん」も登場する。低い大当たり確率だったが、やはり高い大当たりの連続性を秘めており、確変に入るのが1/3、2回ループ時代のロングランヒット機種である。
1994年(平成6年)登場。大当たり確率は1/394.8。賞球数は5&10&15。確変率1/3、2回ループ。確変システムがすごくて大ヒット。「弥七リーチ」「八兵衛リーチ」という2種類のスーパーリーチでは、かわいらしくデフォルメされたキャラクターがコミカルな動きを見せ、期待感を演出。お年寄りから若い女性まで幅広い層に支持された。特に八兵衛リーチは大きな期待ができるチャンスとなったが、八兵衛が失敗しても当たるパターンが存在するのも話題となった。国民的人気モチーフの機種として、多くの支持を集めロングヒット機種となった。
1995年(平成7年)登場。賞球数5&10&15。「海物語シリーズ」の元となった権利モノ機種。ゲームは液晶で図柄が3つ揃ったら大当たりとなり、スタートチャッカー下のミニアタッカーに玉を1個停留させれば権利発生となった。その後は右打ちで16ラウンド、9カウントで大当たりを消化。確変率1/2、1回ループ。図柄も現在の海シリーズと同じである。権利モノの特徴としてスタートがスルーチャッカーで玉持ちは悪かったものの、大当たり確率がデジパチより高くなっていた分、ツボに入った時の連続大当りも凄かった。登場当初は「横スクロールはファンに受けない」と導入するホールは半分ほどだったが、大ヒットすると中古台価格が高騰するなどの異常事態となった。
1993年(平成5年)に登場した4号機。この頃パチスロの人口も設置台数も大きく減っていたが、大量リーチ目という変わらぬゲーム性で多くのファンの心を掴み、一時はパチスロの半分がニューパルサーではないかといわれるほどのシェアを獲得する。これによってその後に大量リーチ目ブームとなり、各メーカーから趣向を凝らしたリール制御を持つ機種が続々と登場することに。ニューパルサーはほとんど形を変えないまま何度もリメイクされたが、それは5号機でも同様。いずれもコンスタントにヒットすると同時に高稼働を誇るというのは他の機種ではないことで、ニューパルサーはパチスロ界屈指のブランドだといえる。
1996年(平成8年)登場。大当たり確率1/369.5、1/405.5、1/438.5の3段階。賞球数は5&10&15。確変率1/3、2回ループ。大当たり終了後時短100回。同名アクションゲームとのタイアップマシン。ゲームは15種類の図柄のうち、3、5、7、源、ハッピで大当りすると確変に入り、以後2回ループ継続となる。さらに、確変終了後には100回の時短がついてくるため、期待度は相当なものがあった。ホールでの人気も高く、かなりのロングランヒットとなった。
1996年(平成8年)登場。大当たり確率1/367。賞球数は5&15。確変率1/2、1回ループ。大当たり終了後時短100回。コミカルなキャラクターと、秀逸な演出で大ヒットを飛ばした。メーカー竹屋の名を全国に広め、看板機種となった。保留玉内でスベリが連続すると期待できた「ツルツルスベリ」ほか、ゾンビの手が出てくるプレミアムリーチも注目をされ、特に新規ユーザー獲得に貢献した。その人気ぶりは4種類の盤面が発売されたことが証明していると言えるだろう。
1997年(平成9年)に登場した4号機。4号機になって認められた機能としてボーナス告知ランプがあり、初期にはいくつか搭載した機種が登場。しかしファンからはいまいち不評で、またその後に大量リーチ目ブームが到来したことで、そのまま衰退するかに思われていた。そんな中で登場したのが、今も大人気のジャグラーシリーズの初代である。そして徐々に設置台数を増やし、いつの間にか押しも押されもせぬ大ヒットマシンへと登りつめる。技術介入や大量リーチ目といったマニアックなゲーム性の種類が多い状況で、それを好まないファンの受け皿になったことが大きいといえるだろう。
1997年(平成9年)に登場した4号機。大量リーチ目&技術介入全盛時代も落ち着き、やや閉塞感のあったパチスロに革新をもたらしたのがサンダーVである。これまでも同社の機種ではリールのバックライトを光らせることでボーナス告知を行っていたが、単にボーナスが決まった時だけではなく小役成立時やチャンス時に様々なフラッシュを発生させることで、今までにはなかった新しいゲーム性を実現。同時にリールの消灯や予告音も初めて採用することで、ボーナスなのかハズレなのかを毎ゲーム楽しめるというリーチ目とは違った楽しみ方ができるように。もちろんリーチ目も充実し技術介入性も満点と、これまでの人気機種には欠かせない要素もしっかりと取り入れているのはいうまでもない。またリールフラッシュ以上にインパクトがあってのが、左リールの3連V。これまでにはない配列と、これが止まればこの1リールでボーナスとなるリーチ目という大胆さは、その後のバーサスや花火といったヒット作に受け継がれていった。
1999年(平成11年)登場。大当たり確率1/315.5。賞球数は5&15。確変率1/2、1回ループ。通常大当たり終了後時短100回。横スクロール5ラインで好評を得た「ギンギラパラダイス」シリーズのデジパチバージョンとして開発され、瞬く間に大ヒット。5回リミッターの「S5」も人気だったが、規制解除後に登場した「3」で歴史に残る大ヒットマシンとなった。予告アクションは、泡予告、魚群予告の2種類、リーチアクションは、珊瑚礁リーチ、波紋リーチ、マリンちゃんリーチと、現在まで続く流れはここで確立されていた。また、プレミアリーチでサムが登場したのもこの機種からである。
1999年(平成11年)に登場した4号機。この前年に規則の解釈基準が変更され、BIG中に目押しを採用することでBIG中の獲得枚数を大幅に増やすことができる、いわゆる大量獲得機が登場。ただし獲得枚数の増加分が中途半端だったりボーナス確率が大幅に下がったりと、あまり受け入れられたとはいえない結果に。そこに登場したのが、この大花火。獲得枚数は最大711枚、また大ヒットしていた花火(ドンちゃんが初登場!)のシリーズ機ともいうことで大ヒット。ボーナスは確かに重いが、鉢巻リールと命名された4thリールの多彩な動きと多彩なリーチ目を誇る奥深いリール制御はそれを感じさせることはなかった。またリプレイハズシが目押しが苦手な人はハズシ成功率75%の3連ドン狙い、目押しに自信があればハズシ成功率100%のBAR狙いと、プレイヤーのレベルに応じて多様な楽しみ方ができるように工夫されていた。
1999年(平成11年)に登場した4号機。目押しが必要かつ枚数にも気を配らなければならないということで敷居の高かったCT機を、デカチリという2コマ分を使った巨大図柄を使うことで小役を獲得するのも外すのも容易にし、一気にその人気を高めたのがアステカだ。またボーナス終了後のLEDによるCT抽選、通常時にバックライトが流れ7で停止すればボーナスになるというアステカルーレットという演出でもプレイヤーを楽しませた。さらにリール制御も練りこまれたもので、ボーナス図柄が揃ってもリーチ目にはならないが変則的な形でボーナスが成立しているということでマニアの探究心をくすぐり、幅広い層のファンから熱烈に支持されたのだ。出率性能もCT機のメリットを最大限に活用した極めて高いもので、朝からアステカ目当てに並ぶということも当たり前に。
2001年(平成13年)に登場した4号機。この1年前に登場していた当社のゲゲゲの鬼太郎SPから始まったアシストタイム(AT)と呼ばれる全く新しい機能は、高い確率で成立しているが配列上取りこぼしてしまう小役をランプ等でナビするもの。サブ基板で実現したこのATをボーナスに準じたものとして用いることで、今までにはなかったメダル増加性能をパチスロに持たせることに成功した。サバンナチャンスと名付けられたAT役はメイン基板で制御しているボーナスでは不可能な連続性を有し、さらに前兆といった新たなゲーム性を実現。様々な動物による演出が頻発しドットにサバンナチャンスの証しであるAが表示されたら、一気に期待感がふくらんだものである。
2001年(平成13年)に登場した4号機。ボーナス成立後はボーナスを抽選しない、そんな常識を覆したことでST(ストック)機という全く新しいスペックが誕生した。当選したボーナスフラグは複数ストックされ、一気に放出することで連続ボーナスが発生する。ST機第一弾であるブラックジャック777はボーナス成立後最大777GのRTに入る。RTが終了したら一気にストックされたボーナスを放出するというスペックで、まだ黎明朝の枠を出なかった。しかしここから発展し、4号機は一気にST機が主流になる。さらにATとSTの融合もあり、あらゆる可能性が試され、多くのゲーム性を持つ機種が登場。パチスロ市場は一気に拡大し、一大パチスロブームが到来したのだ。